愛知第4支部 2025.02.232023.08.03 愛知第4支部名古屋市瑞穂区 熱田区 港区 南区の4行政区から構成されています。総人口・・・447,261人総世帯数・・215,368世帯 活動報告 タウンミーティングin名古屋 熱田 2023.10.062025.02.23 ポスティング 熱田 2025.02.23 名古屋市瑞穂区 「瑞穂」は「みずみずしい稲穂」を表す言葉で、元々は区の中心部にある村の名称であった。新都・東京に向かう明治天皇が、瑞穂区の堀田付近で稲の収穫をご覧になったことがこの名称の起こりとも伝えられています。名古屋市の中東部に位置しています。 人口・・・107,618人世帯数・・ 52,301世帯■名古屋市立大学をはじめとする高等教育施設を有する文教地区としての顔を持つ。公園の数より学校の数の方が多いと喩えられるくらいである。中でも中心部にある瑞陵高等学校(旧第5中学)は、大東亜戦争時に多くのユダヤ人を救った「命のビザ」で有名な杉原千畝氏の母校であり、モニュメントが設置されています。■縄文時代前期頃の大曲輪貝塚を初め、区内にはたくさんの古墳や神社、仏閣があり、太古から人々が生活していた場所である。平安末期、平清盛により当地に追放された藤原師長氏の名前からつけられた師長町という地名もある。また、国の登録有形文化財の「東山荘」は、自然樹林の中に数寄屋風書院造りの建物がある。ここは、市民にも開放され情緒を味わうことができます。歴史があり、自然豊かな四季の香りを感じることできます。■区を南北に流れる山崎川は桜の名所として名高く、日本さくら名所100選にも選ばれている。この付近にある瑞穂公園陸上競技場、パロマ瑞穂スタジアムでは、様々な競技の国内大会が行われ週末になると大変賑わい、区の名所となっています。 名古屋市熱田区 名古屋中央の南寄りに位置する熱田区。地名の由来は2つある。『日本書記』を由来にした「素盞嗚尊(スサノオノミコト)獲給いし草薙剣(クサナギノツルギ)、今、尾張国吾湯市村にあり。」また、『万葉集』では熱田の光景を「年魚市潟汐干にけらし知多の浦に朝こぐ舟も沖によるみゆ」と詠まれ、いずれも「アユチ」ということからその呼び名がルーツとなり熱田の語源とされる。 人口・・・67,051人世帯数・・ 34,972世帯■三種の神器の1つである「草薙剣」を祀る熱田神宮は、古くは伊勢湾に突出した岬上に位置していた。その周りには、国指定史跡の前方後円墳である断夫山古墳やヤマトタケルノミコトの御陵とされる白鳥古墳があり古から重要な地とされていたことが想像できる。現在では、白鳥公園として親しまれている。■江戸時代には、熱田湊とし伊勢湾を核とした物流の中心地で大いに栄えた。また、東海道宮宿と桑名宿を結ぶ七里の渡しがあり、日本一の旅籠(はたご)数を誇り、船着き場横には徳川将軍が宿泊できる東浜御殿(海上要塞)があり特殊な風景が多くの浮世絵に残されている。現在は、当時の常夜灯や時の鐘が復元された宮の渡し公園になっている。■近年では、デザイン都市名古屋のシンボルともいえる名古屋国際会議場があり、国際交流の場として広く利用されている。さらには、タワーマンションや大型ショッピングモールに代表される再開発により、人口増加に転じ、名古屋南部の副都心として成長している。 名古屋市港区 名古屋市南西部に位置しています。もともと港区はほとんどが海でした。江戸時代、区域のすべてが尾張藩の領地であり、区の北部から南部は江戸時代初期に、湾岸部は名古屋港の開発により明治末期から昭和中期までに埋め立てによってできた土地である。現在では、名古屋市の区で最大面積です。 人口・・・141,097人世帯数・・ 65,097世帯■区の南部には日本を代表する国際貿易港の名古屋港がある。ここは、もともと工業地帯であった。現在では商業・観光・娯楽施設が存在し、毎年7月に、ガーデンふ頭を中心に開催される「名古屋港みなと祭花火大会」が開催され、多くの市民が訪れます。■世界で8番目に開業したレゴブロックのテーマパークであるレゴランドジャパンを初め、世界的イベントを開催する名古屋市国際展示場(ポートメッセなごや)、名古屋港水族館、本格的な砕氷艦としては日本で最初の船である南極観測船ふじなど、時代の流れを取り入れた多数の観光施設があり、観光客も訪れている。■ラムサール条約登録地の干潟である藤前干潟 ~人と自然をつなぐ翔橋~がある。伊勢湾に残る最後の大規模な干潟で、シギ・チドリ類やオナガガモ、スズガモといったカモ類など渡り鳥の飛来地として有名である。 名古屋市南区 名古屋市の南部に位置しています。 縄文・弥生時代は大部分が海であった。そして、湿地帯(年魚市潟(あゆちがた)など)では、多く大人の身長をこえる芦などが群生し、呼びあいながら方向を確認していたため、その名残の「呼続」や「大磯」など、古来の地理にちなんだ地名が残る。 人口・・・131,495人世帯数・・ 62,998世帯■東部の笠寺台地は、松巨島と呼ばれる島であった。伊勢湾台風の時には松巨島があった地域だけが再び島となり浸水の被害を免れた。縄文・弥生・古墳時代の遺跡も多く残り、土器などの遺物も多数発掘されている。また、旧東海道沿いには、尾張四観音の一つである「笠寺観音」や、市内に唯一現存している「笠寺一里塚」などがあり、南区の歴史を伝えている。■古代は海産業が中心だった。特に中世からは前浜塩と呼ばれる製塩業が盛んに行われ、塩付街道を経て美濃や信濃などの内陸部へ運ばれていた。江戸時代に新田開拓が進むにつれ製塩業は衰退。明治には海苔や魚の養殖が盛んになり、愛知海苔(あゆち海苔)の中心生産地となる。■1959年の伊勢湾台風により地元産業は壊滅的な打撃を受け、海産業も衰退。中西部を中心に、鉄鋼・金属・機械・化学などの工場地帯として発展している。中小企業が多く町工場と住宅地、商業地が混在した大都市圏の下町地区である。現在では、「香りと色彩ゆたかなまちづくり」というコンセプトのもと、工場が道沿いにハーブを植えて憩いの空間を造り、街の人々を穏やかな気持ちにさせてくれています。 第3支部へ 支部情報にもどる 第5支部へ